好きを公言するとより好きになる
とあるプロフィールを書くときに、「好きなパン」の種類を聞かれたことがあった。たぶん年に3回くらいしか食べてないけど、「レーズン食パン」と書いた。本当はサンドパンとかクロワッサンとかフレンチトーストとか、もう少し甘さのあるほうが好きかもしれないが、とにかくそのときの気分はレーズン食パンだった。
そこから一ヶ月くらい経つのだけど、年に3回しか食べてなかったレーズン食パンを、週2くらいのペースで食べている自分がいる。
一度好き、って書いた/言ったものは、やっぱり存在が気になってしまう。スーパーに行き、パンコーナーに寄ってはどんなレーズン食パンが並んでいるか見てしまう。
一番満足度が高いのは、ヤマザキのレーズンゴールド。レーズンの密度が半端ないし、レーズンのしっとり感が保たれている。
ただ、個人的によく食べるのは、PASCOのレーズン食パン。ヤマザキに比べたらレーズンの密度もしっとり感も劣るんだけど、なんというか、バランスがいい。結局食パンはなんだかんだPASCOに行きついちゃう。
レーズン食パンの話はさておき、一度好きと公言したものはより好きになってしまうよね。好き沼。これは食べ物に限らず、人付き合いでも恋愛でも一緒だ。
公言するうちに自分の潜在意識に刷り込んでしまうこと、自分の好きという気持ちを正当化するために証拠集めをすること、周りからの意識が変わること、などが要因なのだろう。とわかっていても、一度好きになるとなかなかそのスパイラルから抜け出すことはできず、最後は溺れてしまうのだ。
人生にさざ波を立てる
人一人で大きな波は起こせなくても、さざ波(小波)は起こすことができる。さざ波が重なって大きな波を作れるかもしれないし、ぶつかって打ち消し合ってしまうかもしれない。立てたさざ波がその後どう影響していくかは、実際に立ててみないとわからない。
「人生にさざ波を立てる」ように生きたい、というのが最近のテーマ。見ず知らずの人に話しかけてみたり、自分の固定観念をとっぱらっていろいろなことに挑戦してみたり。
なにもないところに波を立てるのは怖い。それに巻き込まれて自分が溺れてしまうかもしれないし、小さな波を立てたところで何も反応がなくて自分のちっぽけさに気付かされてしまうかもしれない。
それでもビッグウェーブになる日を信じて、今日もさざ波を立てていく。
添い寝まで持っていくときのデートプラン
恋愛テクニックや恋愛工学みたいなものに、まるで興味がない。それは前回の記事で書いたように、「好き」の種類がたくさんあって、それに付随して付き合い方もたくさんあるから、そもそもテクニックなんて一部にしか通用しないと思っている。
などと言いながら、たまにこの人と添い寝したいな、という気持ちになることがあり、別にテクニックを意識しているわけでないけど、これを実践するとお互いにしあわせに添い寝をできる気がする、という方法をいくつか見つけたのでシェアしてみる。
1.) 恋愛の話をする
お互いに恋愛の話をする。恋愛の話をすると無条件で気分が高まる。一説によると、恋愛の話をしているときのドキドキ感が、その相手との恋のドキドキ感と錯覚してしまい、より好きになる効果があるとか。
お互いの恋愛観を話し合っていくのも単純に楽しい。そこで価値観が一致すればその先に進めばいいし、合わないようなら諦めればいい。
恋愛の話は恥ずかしくて急に切り出せないでしょ、という意見もあると思うが、これにも秘策があり、まずは勇気を出して自分から赤裸々に話してみる、といういたってシンプルな方法が効く。
「実は最初の彼女ができたの中一のときでさ、めちゃはやいよね(笑)でもなんと、その人・・・!うんぬんかんぬん」
→ 相手も今までの恋愛の話をしやすくなる
「恋愛については常々思うところがあってさー、正直一人に絞るのって難しいんだよね〜うんぬんかんぬん」
→ 相手も恋愛の価値観の話をしやすくなる
自分から話しても話してくれない相手は強敵。でも楽しければなんでもいい。
2.) 温泉に入る
温泉に入ると、体がふわふわする。このふわふわが、性欲が高まったときのそれに似ている(私はこれを溶感覚と呼んでいる)。風呂上がりってなんだか無性にスキンシップしたくなるが、まさに溶感覚の気持ちよさによるものだ。
ここからは面倒くさいことはなにもない。風呂上がりにニコニコしながら「ちょっとくっついていいー?」と言うとだいたいOKもらえる気がする。普段かわいいキャラで通しているので、自分で言うのも何だけどこれはシンプルかつ有効な手段だが、実践に際し責任は取れない。これは攻略法ではなくエッセイとして楽しんでほしい。
スキンシップは入り口が重要なので、一回触れることができればほぼほぼ勝ちだ。重要なのは、相手の許可をちゃんともらうこと。そこで相手を嫌な気分にしてはいけない。
3.) 車内でスピッツを流す
スピッツはねー、卑怯ですよ。自分が単純に好きだから流してるってのもあるのだけど、さわやかなエロさと言うのだろうか、曲や声の気持ちよさが気持ちを高ぶらせる。
注意して聞かないとわからないけど、そもそも歌詞にけっこう詩的・上品なエロさが含まれている。
Vocal草野マサムネさんの高音は、なんというか、空気との境界線に溶けるような性質で、やっぱり性欲のそれと似ている。”渚”の「さめないで」とか、”ロビンソン”の「ルララ宇宙の風に乗る」とか。
おすすめアルバムは、夜だったら三日月ロック、昼だったらさざなみCD、ストレートなエロさだったらハチミツ。
4.) 一緒に体を動かす
一気に相手と仲良くなるコツは、一緒に体を動かすアクティビティをすること。山登りするとか、バドミントンするとか、なんならその辺を散歩とか、そういうのでも大丈夫。ちょっとした疲労感と達成感が、二人の距離を縮めてくれるだろう。思い出してみると、体を動かしたあとに実は会話が弾んでいることが多い、ということはよくある光景だ。
体を動かす以外にも、「共有体験」が重要だと思っていて、面白い光景を見る、美しい景色を見る、ハプニングに合う、なども大きな前進になる。
二人でデートしていれば全てが勝手に共有体験になるので、あまり意識しなくてもいいのだけど、ここで重要なのはその体験をハッピーに持っていくことだろう。
たとえば、山登りしたあとは、「はー、疲れた、ちょっと休憩したら帰ろう」じゃなくて、「やー!!山頂で飲む水は一味違うね!!」で攻めるべきだし、ドライブ中に時速30kmで前を走っている車がいたら「なんだよアイツ、めちゃ遅いなーー、、」じゃなくて、「すごいゆっくりだね(笑)僕達もたまにはゆっくり走ってみよー!(景色も見れるし、君とたくさんお話できる!)」で攻めるべき。
ストレスになりがちなハプニングも、言葉一つで簡単に楽しい時間に変えることができる。大事なのは今を楽しむ余裕と無邪気さ。
文章だとあまりニュアンスが伝わらないので、どういうことかわからない人がいたら僕と遊んでみてください。読んでいる方が女性だったら、実際に僕とデートしてみてください。めちゃくちゃ楽しいよ!☺
5.) 否定しない
これはもはや大前提なのだけど、相手のことを否定してはいけない(この文章が否定形になってるのはおいておく)。それは違うんじゃない?とか、俺はこっちのほうがいいと思うけど、みたいなのは相手のテンションを下げてしまう。
たとえば、相手の「海に行きたい!」に対して、「遠いから嫌だ」とか「暑いから嫌だ」とか、ストレートに返したらダメ。そんな人はデートなんかしてないでうんこして寝てくれ。
ベストは、「え!サイコー!行こ!!(偏差値低め)」ですが、本当に行きたくない場合は代替案を示そう。「海!楽しそう!だけど、今日は混んでそうだから○○は?」のようなニュアンスだろうか。
「えー、一人で行ってきてね(笑)」みたいな、冗談を差し込むのも効果的。わたし自身もかわいい冗談をいわれると相手のことをめちゃ好きになってしまう。
添い寝に持ちこむ
以上のことをまとめると、要は「相手を楽しく、気持ちよく」させれば良い。しかし、テクがあるからと言って、機械的にやってはいけない。ちゃんと愛をもって接しよう。
1.〜5.まで意識して一日遊んだら、もうなんでも言える仲になっているだろう。「ハグしたい」「添い寝したい」、と「少年のように」伝える。かっこよさではなく、素直にかわいくナチュラルに。ここが一番大事。
粘着質な性欲を感じてしまうため、恥ずかしがってゴニョゴニョ言ってもいけない。そのために今日遊んでたの?と思わせてしまうだろう。素直な気持ちであれば、どもらずに伝えることができるはず。
結局最後は、どれだけ相手のことが好きか?相手のことを思いやれるか?ということが重要になる。
分類できない「好き」の多様性
恋愛の話が好きだ。誰と誰が付き合ってるとか、いついつセックスしたとか、そういう事実ベースな恋話も好きっちゃ好きだけど、もっと本質的なところ、「どういう付き合い方がお互いにとってベストか」「付き合い方や結婚について思考停止していないか?もっと多様な選択肢があるはずでは」みたいな、恋愛の根本について考えるのが好き。
自分自身がたくさん恋愛で悩んできたことで、「教科書どおりの恋愛」は自分に向いてない、何かもっと幸せになれる方法があるんだ、ということを考える機会が増えたように思う。
自分の場合、恋愛における大きな悩みはすぐ人を好きになることだ。よく言えば、愛の総量が大きいのかもしれない。すぐに人を好きになる一方で、ここを超えたらパートナーになりたい!というような好きのしきい値が高い、もしくは好きになるけど大好きになりにくい、というような、浅く広くの恋をしてしまっている。好きな人が多すぎて、自分から好きな人を一人に絞るということが非常に難しい。
食べ物に例えると、たとえカレーが好きでも毎日カレーライスだとつらいように。今日はカレー、明日はスパゲティ、明後日は味噌汁と焼き魚、みたいに、色々なものをバランスよく食べるからカレーのありがたみがわかる。辛いもの、甘いもの、しょっぱいもの、全部「好き」にまとまるんだけど、そのベクトル【方向性】が違う。さらにいうと、甘さの中でもメロンの甘さ、白米の甘さ、グラニュー糖の甘さ、といろいろある。
直線的に好きを捉えると、こうなる。
この考え方であれば、一番右に位置する人が「一番好きな人」であって、話は早い。
でも実際にはベクトルが沢山存在していて、2次元でも3次元でも表せない(イメージは3次元で表現している)。
その人の声が好き、のほほんとした雰囲気が好き、いつでもマイペースなところが好き、価値観が合うから好き、普通に見た目が好き、字が独特なところが好き、子供っぽいところが好き、など、好きなベクトルが人によってまるで違う。
文章で書くといかにもカテゴライズっぽいけれども、実際はもっと鮮やかなグラデーションで、分類さえできない。
好きにもたくさんの種類がある中で、みんなどうやってパートナーを決めているんだろう。そんなの、ノリとタイミングでしかないのではないだろうか。自分もそんなタイミングが訪れることを夢見て文章を書いていくことにする。
キュンキュン集め
やっぱり人生というもの、乾いていちゃいけない、いつでも浮ついていたい。キュンキュンしたい。
ところで、キュンキュンってなんだよと思い、ウィキペディアで調べてみた。
キュンキュンとは、主に少女の恋愛において、胸の中心部に息苦しい感覚を覚えるなど、精神状態が通常と異なった状態に陥っていることを表す擬態語。
キュンキュンって快感のようで、実は不快感なんだね。いい意味で使われることも多いけど、キュンキュンってやつは自分の心を乱してくる存在だ。でもそれがスパイスとなって人生を彩る、やっぱり無くてはならない存在。
今日はクルマで2時間半くらいのところにある会場でクリスマスコンサートが企画されていたのだけど、直前まで行くのをためらっていた。そのコンサートのためだけに往復5時間の運転はなかなかつらい。けれども、別でやっている音楽メディアの記事にもなるし、世界的な指揮者であるゲストが来てくれるということもあって、足を運んでみることにした。
会場にはわたしの見知った顔(女性)が一人だけいた。コンサート中は、その子と話したり、目を合わせて体を揺らしたり楽しんだ。3組のアーティストが出演し、特に最後のアーティストは会場をとことん盛り上げ、みんなのテンションも上がっていた。会場の雰囲気や曲調的に、テンションというよりは幸福度が上がっていたかもしれない。
コンサートが終わって、その子が車まで送ってくれると言うので、肌寒い夜道を一緒に散歩した。もうこれだけで何か起こりそうなキュンキュン要素がある。その子が突然、「ちょっとズルいこと言っていい?」と前置きをしてきて、わたしの心はそれはもうかき乱された(=それはもうキュンキュンした)。一瞬の間に、(え、何、何?!このタイミングで?告白?違うよな、手つないでいい?とかかな?)と思考が脳内を駆け巡る。
続けてすぐに、彼女は「一緒に飲みに行かない?」と提案をした。わたしは車で、彼女が徒歩だから、自分だけ飲むことになってしまいズルいということだったらしい。・・・だったらしいけど、それでズルいという言葉をチョイスするだろうか。
男はいつでもポジティブシンキング。彼女なりに、相手をキュンキュンさせるための言葉を選んだんだろう。わたしと一緒にもっと時間を過ごしたくてその言葉を選んだんだろう。ああ〜モテる男はつらいな〜。
その場で飲みに行ってたら、その先どうなっていたんだろうか、という浮ついた気持ちで帰路についた。めっちゃ暗い山道も通るから、元気なうちに帰りたかった。その場で飲みに行ってたら、「疲れたから今日寝ていい?」ってふらっとその子の家に泊まってたりしたのだろうか、そういった後悔の念も含めて、本日のキュンキュンとさせていただく。
(P.S.未来の自分がこの記事を移植・リライトしているが、なんでそこで帰るんや、アホか、という気持ちがすごい)
運命的な出会いは作れる
水面下で進んでいる山古志楽器屋計画ですが、これにカフェを併設することになりそうです。やはり、食が人を呼ぶ力、結びつける力は強いし、そもそも梶金という集落には飲食店がありません(土日だけやっているお蕎麦屋さんがあるみたい)。
山古志全体で見ても、飲食店はあまり目立ちません。あるとしても、地元の食材を使った農家のごはんやさんや、前述の蕎麦屋さんなど、4〜5店舗くらいでしょうか。いずれ全体を回ってマップを作ってみたいな。とにかく、現状、その地域に溶け込んだ、和風料理のお店が多いようです。
楽器屋併設カフェでは、メインメニューとしてスパイスカレーの提供を考えています。手軽に作れるし、見た目はオシャレだし、山の中では珍しい。
・・・そんなことを考えるようになったのは、「場所」が先に決まっているからでしょうか。その土地で何ができるか。その場所でどんなことをしたら面白いのか。
最初に、楽器屋をやりたい!と声を上げたときに、僕は場所はどこでもいいと思っていました。今でもそう思っています。何かの拍子に別の好条件な場所が見つかればそちらに移動する可能性もあります。それほど、場所にはこだわりはありません。
しかし、もう一つ経験則として、「住めば都」の言葉通り、関わる場所・住む場所のことはどんどん好きになっていくみたいです。これから山古志に関わる機会が増えれば増えるほど、きっと離れて行きたくなるんだろうな、とぼんやりと思っています。
場所に関しては、そういった経験則から、「どこでもいい」と考えていたのです。きっと、運命的な出会いなんてものは、そうそうあるものではないのだと思います。運命的な出会いを探していると、目の前にある小さなチャンスをどんどん逃して、月日だけが経っていくような気がして、なんだかむず痒いのです。僕はスピード感を重視しているので、少しでも面白そうなものはつっついてみて、反応を見るようにしています。
たとえそれが運命的な出会いじゃなくても、関わっているうちに好きになっていって、後から見たらそれが運命的な出会いでした、ってこともよくある話です。これは、住まいにおいても、恋愛においても、すべてのことに言えるような気がします。
本屋の閉店と、たんぽぽのわたげ
みんなに愛されていた本屋が閉店する、との知らせを受けました。
以前このブログでも紹介した「ツルハシブックス」。本屋であり、コミュニティスペースであり、誰かに会える場所。何かが生まれるかもしれない場所。自分でお店を作るなら、こんな不思議な空間にしたいと思っていました。今準備している楽器屋も、まさにそんなコンセプトです。
ツルハシブックス閉店のお知らせはさすがに驚きましたが、そこまで悲しいことでもありません。たんぽぽに例えるなら、自分のわた毛を飛ばして、その役目が終わるときなのでしょう。そうして誰かのもとに着いたわた毛が、また根を張って、新しい空間がポツポツと生まれています。ツルハシブックスは、そのきっかけや人のつながりをつくる場所として、大役を果たしてくれました。
閉店後のその先、また色々な場所で、こういった場所が生まれるでしょう。自分の楽器屋だって例外ではなく、もろにツルハシブックスのコンセプトに影響を受けています。今まで言語化の難しかったコンセプトですが、「ツルハシブックスのような」と付け加えれば、簡単に説明ができてしまう。ああ、よくわからないけど、なんだか人の集まる場所ね、と。
今までありがとうございました。また遊びに行きます。