分類できない「好き」の多様性

恋愛の話が好きだ。誰と誰が付き合ってるとか、いついつセックスしたとか、そういう事実ベースな恋話も好きっちゃ好きだけど、もっと本質的なところ、「どういう付き合い方がお互いにとってベストか」「付き合い方や結婚について思考停止していないか?もっと多様な選択肢があるはずでは」みたいな、恋愛の根本について考えるのが好き。

自分自身がたくさん恋愛で悩んできたことで、「教科書どおりの恋愛」は自分に向いてない、何かもっと幸せになれる方法があるんだ、ということを考える機会が増えたように思う。

自分の場合、恋愛における大きな悩みはすぐ人を好きになることだ。よく言えば、愛の総量が大きいのかもしれない。すぐに人を好きになる一方で、ここを超えたらパートナーになりたい!というような好きのしきい値が高い、もしくは好きになるけど大好きになりにくい、というような、浅く広くの恋をしてしまっている。好きな人が多すぎて、自分から好きな人を一人に絞るということが非常に難しい。

 

食べ物に例えると、たとえカレーが好きでも毎日カレーライスだとつらいように。今日はカレー、明日はスパゲティ、明後日は味噌汁と焼き魚、みたいに、色々なものをバランスよく食べるからカレーのありがたみがわかる。辛いもの、甘いもの、しょっぱいもの、全部「好き」にまとまるんだけど、そのベクトル【方向性】が違う。さらにいうと、甘さの中でもメロンの甘さ、白米の甘さ、グラニュー糖の甘さ、といろいろある。

直線的に好きを捉えると、こうなる。

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この考え方であれば、一番右に位置する人が「一番好きな人」であって、話は早い。

でも実際にはベクトルが沢山存在していて、2次元でも3次元でも表せない(イメージは3次元で表現している)。

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その人の声が好き、のほほんとした雰囲気が好き、いつでもマイペースなところが好き、価値観が合うから好き、普通に見た目が好き、字が独特なところが好き、子供っぽいところが好き、など、好きなベクトルが人によってまるで違う。

文章で書くといかにもカテゴライズっぽいけれども、実際はもっと鮮やかなグラデーションで、分類さえできない。

好きにもたくさんの種類がある中で、みんなどうやってパートナーを決めているんだろう。そんなの、ノリとタイミングでしかないのではないだろうか。自分もそんなタイミングが訪れることを夢見て文章を書いていくことにする。