好きを公言するとより好きになる

とあるプロフィールを書くときに、「好きなパン」の種類を聞かれたことがあった。たぶん年に3回くらいしか食べてないけど、「レーズン食パン」と書いた。本当はサンドパンとかクロワッサンとかフレンチトーストとか、もう少し甘さのあるほうが好きかもしれないが、とにかくそのときの気分はレーズン食パンだった。

そこから一ヶ月くらい経つのだけど、年に3回しか食べてなかったレーズン食パンを、週2くらいのペースで食べている自分がいる。

一度好き、って書いた/言ったものは、やっぱり存在が気になってしまう。スーパーに行き、パンコーナーに寄ってはどんなレーズン食パンが並んでいるか見てしまう。

一番満足度が高いのは、ヤマザキのレーズンゴールド。レーズンの密度が半端ないし、レーズンのしっとり感が保たれている。

ただ、個人的によく食べるのは、PASCOのレーズン食パン。ヤマザキに比べたらレーズンの密度もしっとり感も劣るんだけど、なんというか、バランスがいい。結局食パンはなんだかんだPASCOに行きついちゃう。

 

レーズン食パンの話はさておき、一度好きと公言したものはより好きになってしまうよね。好き沼。これは食べ物に限らず、人付き合いでも恋愛でも一緒だ。

公言するうちに自分の潜在意識に刷り込んでしまうこと、自分の好きという気持ちを正当化するために証拠集めをすること、周りからの意識が変わること、などが要因なのだろう。とわかっていても、一度好きになるとなかなかそのスパイラルから抜け出すことはできず、最後は溺れてしまうのだ。