恋愛の「生理的側面」と「社会的側面」
恋愛についての考察は、主に二つの側面からできる。一つは、「生理的側面」。これは、スキンシップやセックスが気持ちよかったり、二人で愛し合っている実感があってしあわせな気持ちになったり、人間の先天的で本能的なもの。そしてもう一つは、「社会的側面」。これは、恋愛によって、二人がお互いの価値観や可能性を広げることができたり、社会に影響を与えたり、社会から影響を受けたりする、人間の社会性や性格など、後天的なもの。
これら二つの側面が満たされたときに初めて、「良い恋愛」をしているといえるのではないだろうか。しかし、後者の「社会的側面」についての考えは、「生理的側面」に比べて欠落しがちに思う。
わたしの考える理想的な恋愛は、「二人がお互いの価値観や可能性を広げる」恋愛だ。パートナーというか、もはやチームと言っても良い。
お互いの価値観を広げるというと、立派なことを書いているけど、例えばパートナーの友達と自分が友達になるとか、好きな音楽や映画などの趣味を共有するとか、身近なところの話が多い。
これを一言で言えば「遠心(外へ向かうパワー)」だ。自分の目を外へ向ける、色々なことを吸収する。家にこもってないで、でかけてみる。面白そうなことには挑戦してみる。
そして、これの対義語が、「求心(内へ向かうパワー)」。恋愛関係の社会的側面において、この「内へこもる」というのが、すこしばかり危ないように思う。
(極端な例だけど)パートナーとずっと一緒にいたい、他の人とはお話しない、パートナーの友達とは仲良くならない、いつも同じ場所へデート、新しいことに挑戦しない、面白そうな話を吸収しない。
こういう状態が続いていると、簡単に二人の関係性は壊れてしまう。どちらかに、または双方にストレスが溜まっていって、いつか不満が爆発してしまう。いつも同じ場所に停滞しているために、ストレスや不満のはけ口がないからだ。
二人の関係性は、「風通しが良い」ほうがいい。そして、お互いが好きなモノや、お互いの考えを受け入れあって、面白そうなものは乗っかってみる。その関係性がパートナーでありチームであり、良い恋愛の社会的側面なのだと思う。
わたしも過去に一回彼女がいたことがあるけど、彼女が内へこもりたい求心タイプ、自分が外へ出たい遠心タイプだったために、あまりうまくいかずすぐに終わる恋愛となった。「生理的側面」ではうまく行っていたから、デートは楽しかったけど、長続きの要素は「社会的側面」にあるのだろうと思う。
今回はあまり具体的な話を交えずイメージのみで書いてしまったので、この感じが伝わるかどうか不安だけれど、とにかく僕はチームのような恋愛がしたい。チームだけでは別に恋愛じゃなくてもいいので、やっぱり生理的側面も重要だ。そういうわけで、恋愛には二つの側面があると思ったお話を書いてみた。